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《不肖・宮嶋の熊本日記》
第4回 水、トイレ、国民の関心

  • 特集

2026-9-30 14:13

今回の熊本地震は、被災地の水道、電気、ガス、家々を再び破壊した。しかし、人命救助や生活支援、災害からの復旧にはスピード感があった。ここから先の復興に必要なのは、日本の人々の関心だ。宮嶋茂樹 _Shigeki MIYAJIMA

海自艦艇から給水車が運ぶ「命の水」

 今回の震災は日本でも屈指の蒸し暑い地の真夏に発生したばかりか、被災地広範囲に渡って上下水道、電気、ガスというインフラを破壊した上、家々を奪い去った。
 しかし、エアコンや電気が来ても、なかなか来んのが水である。言うまでもないが、人間いやあらゆる動植物の生存に欠かせない成分の一つが水である。いやいや、炊事調理洗濯入浴と人間が文明的な生活を送るには大量のきれいな水が必要であるが、その飲料水、生活用水ともに自由にならないのである。蛇口をちょいひねれば、じゃぶじゃぶなんぼでも飲料水までもがでてくるのが当たり前の生活に慣れた日本人には、これが思う以上につらい。
 生活用水に関しては、防災拠点やいくつかの避難所で飲用には至らんが、清潔な水を蓄えた井戸から手押しポンプで汲み上げられていたが、飲料水はそうはいかん。
 そんな水が、避難所や給水ポイントにもよるが、1回一人4リッターから10リッター配布されているのである。自衛隊のほか、地元自治体や日本全国の県市町村が派遣した給水車などより。

八代港に停泊した掃海母艦「ぶんご」と給水車。一度に1000リッターから1万リッターの給水を受け、陸自車両は直ちに各避難所に向かう。こののち、輸送艦「くにさき」や護衛艦「いせ」に交代した 写真:宮嶋茂樹
熊本市「火の君文化センター」に設置された自衛隊野外入浴セット。この給水タンク1つで1万リッター入る。入浴を終えた住民からは「排水ですらもったいない」と声があがるほど、皆乾いていた 写真:宮嶋茂樹

 大型ペットボトルや水タンクを持ち合わせていない住民には給水ポイントで10リッター入る飲料水袋まで充分に配布されるが、一人10リッターというたら、重さ10キロである。これを持って、一日何度も倒壊を免れた我が家との間を往復する必要があるのである。この炎天下に。これはなかなかきつい。というより、お年寄りやお使いの子供らには無理である。そういう場合も屈強な自衛隊員のお兄さんらが持ってくれる。
 給水所では地元北熊本駐屯地から派遣された第8後方支援連隊や第42即応普通科連隊、さらにお隣り、宮崎県都城駐屯地から派遣された第43普通科連隊等が、被災者に飲料水タンク(1,000リッター)から直接飲料水を配っていた。そしてこの飲料水タンクへの給水は、第8後方支援連隊の給水車(5,000リッター)が八代港に停泊している海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」や輸送艦「くにさき」から給水を受けて、その後各給水ポイントを日中、回りながら八代港の間を往復している。
 ただし日中は被災地周辺は支援物資を運ぶ官民双方の大型小型車両や復旧のための重機が通るため殺人的渋滞が発生する。そのため、飲料水タンクが空になっても給水車が一向に来ないという事態も起こったが、それも道路事情の改善に伴い、徐々に解消しつつある。

氷川町の宮原振興局。お隣り宮崎県から駆けつけた第43普通科連隊のお兄さんによる「さりげなーいお手伝い」。政治家の「視察」と違い、住民から歓迎された 写真:宮嶋茂樹

復興を助けるのは国民の関心

 口から入れる飲料水も大事やが、同様、排泄も人間にとって重要である。真冬の能登震災発生直後からあれほど問題になったトイレ事情は、明らかに改善されていた。各避難所でも真夏にもかかわらず、あまり臭いは気にならず、真夏では相当臭いや熱がこもり、使用に遠慮がちだった携帯トイレのかわりにマンホール・トイレがすぐに、いくつも立ち上がり、行列もほとんど見られなかった。
 また、能登半島では災害時の救世主になりえるとまで期待されながら、タンクがすぐにいっぱいになり使えなくなったトイレカーも、ここではバキュームカーが定期的に回収し、水洗のうえ清潔で夜間も明るいと好評であった。さらに現在は汲み取り不要のバクテリア・トイレも設置された。
 確かに木村熊本県知事も「一人でも多くボランテイアの皆さんには来てほしい」とおっしゃった。特に仮設住宅設営、重機オペレーターなどの特殊技術をお持ちのボランティアの皆様の人手はまだまだ必要である。被災地の迷惑になるからと観光をキャンセルされたかたにも、来てほしいのである。熊本城以外は市内は10年前と違い、まずまず被害は軽微である。ホテルは被災民の一時避難場所として自治体に借り上げているところもあるが、ここで観光でお金を落とすことも復興の一助にもなるのである。
 かように今回の熊本地震では、三陸や能登の災害発生直後、感じたような悲壮感や絶望感が比較的少なく感じた。先述したとおり八代市、氷川町、宇城市という被害の大きかった地域が広範囲に広がらなかった点がまず大きいが、これは人命救助や生活支援、災害からの復旧復興にスピード感があったからであろう。
 今回の災害への即応体制がこれほどスピーディにかつ円滑に進んだように見えるのは、ふだんから自衛隊、警察、消防、自治体、時には今回支援活動に参加するまでもなかった同盟国、米軍との共同防災訓練があったからこそ、この「有事」にも適切に対応できたのではなかろうか。
 実際、今回の震災発生4日前までは、南海トラフを想定した米軍も参加した統合防災訓練を日本全国で実施しており、熊本県も当然参加していた。もちろん、そんな訓練が役に立つ事態なんか来ないに越したことはないが、ここは日本である。近い将来、必ず、どこかに、いやここ熊本にも三度、災いに襲われるやもしれんのである。
 いや災いは天災ばかりとは限らない。悲観的に準備し、楽観的に対処するは安全保障の基本である。そのためにも各機関、真剣に共同防災訓練を定期的にいや抜き打ち的にも続けるしかないのである。
 8月15日現在、2万6000戸でいまだ断水が続いており、住民の水の自由にならぬ生活はいましばらくは続く。復興への最大の敵は国民の無関心である。

10年前の震災からの修復が叶いつつあった熊本城だが、石垣の一部がまた崩落した。撮影当時は場内は危険のため立ち入り禁止だったが、その後、解除された 写真:宮嶋茂樹

(了。2026年8月記)

不肖・宮嶋の熊本日記

第1回 令和8年熊本地震と10年前の記憶
第2回 速やかに動き始めた自衛隊
第3回 届けられた支援の有効活用
第4回 水、トイレ、人々の関心

宮嶋茂樹_Shigeki MIYAJIMA

みやじま・しげき 報道カメラマン。1961年、兵庫県明石市生まれ。1984年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、講談社週刊『フライデー』専属カメラマンを経てフリーランスに。国内外の紛争、災害、事件、事故現場を撮影し、各種媒体に作品を発表し続けている。著作・写真集多数。近著に『海上自衛隊創設70周年写真集 GLORIOUS FLEET 日出づる艦隊』、『君たちはこの国をどう守るか』(共著)、『不肖・宮嶋 最後の戦場 ウクライナ戦記』、『忘れられた香港 〜The Forgotten State〜』など。

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