日本の防衛と安全保障の今を伝える
[Jディフェンスニュース]

site search

menu

Jディフェンスニュース

不肖・宮嶋の熊本日記
第1回 令和8年熊本地震と10年前の記憶

  • 特集

2026-9-12 08:00

7月28日夕刻、最大震度7の激しい揺れが熊本を襲った。ちょうど10年前、平成28年熊本地震でも大きな被害を被った熊本が、また大きな災害に見舞われたのだ。筆者は10年前を思い出しつつ、現地での取材を開始した。宮嶋茂樹 _Shigeki MIYAJIMA

酷暑の中のM7震災、第2次熊本地震

 7月28日夕刻、熊本県を突如襲った最大震度7の地震は8月18日現在、関連死も含め39人の犠牲者を出す大惨事となった。そして現在も3000人以上の住民が余震に怯え、酷暑に耐えながら、我が家と比べようもない不便な避難所暮らしを続けている。
 10年前、2016年4月の熊本地震、2年前の元日に起きた能登半島地震、さらに15年前の3月11日に発生した東日本大震災と違い、「火の国」と呼ばれる熊本を襲った今回の災いは、現代の日本人が実質初めて経験する「真夏」の震災となった。
 不肖・宮嶋、報道カメラマン生活42年、その間、国の内外で様々な天災、人災、戦災現場を渡り歩き、この目で見て、記録してきた。そして、そのたびにつくづく実感する。日本に生まれて良かったと。我が国は何度も天災や戦災にまみえようが、我が身にふりかかった不幸を他人のせいにすることもなく、挫けず、復旧復興を果たしてきたのである。
 諸外国では災いに乗じ、当たり前のように起こる暴動や略奪なんぞ文字通りよその国の話。熊本では人々がこの酷暑の下でも玉のような汗を流しつつも、黙々と給水や入浴支援の列に並び、秩序を保ちながら、他の被災者にも心を配り、励ましあっているのである。
 建前で民主国家を名乗る諸外国では天災に襲われれば、軍隊が暴徒鎮圧や治安維持のため出動するが、日本では自衛隊が丸腰で、人命救助や復旧復興支援に当たっているのである。

今回の震災で最も被害の大きかった地域の一つ、氷川町。旧家の多くが倒壊した。

10年前の熊本地震の記憶

 若い皆さんもご記憶おありだろうか? 10年前の2016年4月14日、今回と同じ熊本県と大分県下を最大震度M6.3の地震が襲った。
 翌日、熊本市内に入った私はその深夜、余震というにはあまりにすさまじいM7.3の地震の揺れと恐怖を市内繁華街にあるビジネスホテルのベッドの上で経験した。我が国はその5年前には東日本大震災を経験したばかりであった。わずか5年の間に、また大地震が大都市熊本市を含む九州広範囲の地域を襲ったのである。
 こんな事態になってから、わが国が地震大国であることを否が応でも実感する。日本列島は山間部が海岸線まで迫り、平野部が3割程度と狭く、農地に適した土地が比較的少ない。しかし、その代わりというては何やが、四季折々海や山の幸に恵まれ、さらに活断層や火山が五目並べのように連続しているおかげか、日本中で温泉を楽しめる。何度地震で集落が崩落しようが、町が津波に襲われようが、海や山から糧を得、共に生きていくしかないのである。それが宿命であるように——。
 深夜1時25分、ビジネスホテル7階客室で、就寝中だったが、どんな寝起きが悪い奴でも目を覚ますような最大震度7の揺れに飛び起きた。天井が崩れ落ちてくるのが見え、思わず目を閉じた直後、真の闇に包まれ、停電を悟った。ビジネスホテルの従業員はすべての客室のドアをたたきつづけ、宿泊客全員を非常階段に誘導し、通りに避難させ、宿帳と突き合わせ、点呼を取った後、あらかじめ定められていた避難所を案内してくれた。
 このホテルの従業員が日頃から防災訓練に真剣に取り組んでいたのが、この非常時にあっても落ち着いた態度から理解できたし、その手際に感嘆する——余裕はなかった。電気が途絶え、闇に包まれた通りを車のヘッドライトだけが煌々と照らし、その脇を不安丸出しで、避難所へと向かう人々はまるでゾンビのように見えた。
 それから夜明けまで、いや、翌日以降も余震が続き、神経を逆なでする地震警報が途切れることはなく、眠れぬ夜は続いた。
 犠牲者は災害関連死を含めて278人にのぼり、県民の約8割にあたる約148万人が被災、一時最大約18万人が避難所生活を強いられたのである。

2016年、南阿蘇村にて。10年前の震災で土石流に飲み込まれた温泉旅館で行方不明者捜索にあたる自衛隊と警察部隊

日本人の震災との戦いと支援を記録するために

 10年前の熊本地震では、被災地域も熊本県から大分県下まで広範囲に及び、陸海空自衛隊は直ちに災害派遣として出動。さらに東日本大震災時の「トモダチ作戦」以来5年ぶりに米軍も実任務として出動し、当時まだ自衛隊に配備されていなかったティルト・ローター機、米海兵隊のMV-22「オスプレイ」4機も被災地の生活支援活動に参加して、陸上自衛隊高遊原駐屯地から南阿蘇村まで支援物資輸送にあたり、八代港沖に停泊していた海上自衛隊ヘリ空母型護衛艦「ひゅうが」では給油まで受けた。

2016年4月、熊本県南阿蘇村にて、初めて災害対応のため出動した米海兵隊のMV-22オスプレイ。この日オスプレイ2機は毛布、食糧など約20トンを高遊原分屯地から輸送した

 一方、熊本市内では重要文化財熊本城まで重大な被害を被り、石垣や天守閣まで一部崩落したものの、この10年でやっと復興が叶いつつあった。
 そして復興前途にあった今年の7月28日夕刻、またもや地震に襲われたのである。
 せっかく、ひとつひとつ忠実に組み合わせ、修復しつつあった熊本城の石垣も、再び崩落してしもうたのである。かつて加藤清正が君臨した熊本の、県民の誇りであり、精神的支柱であり、大きな観光資源でもあった熊本城がである。これで心を折るなという方が無理である。
 そんな災害現場や避難所で、人命救助や復旧復興にとって屁のツッパリにもならぬ我らカメラマンだが、10年前にも同じこの地を襲った震災を知る者として、日本人が初めて経験する酷暑下の災いを熊本の民がいかに耐え、克服していったかを、そして日本人がそれをどう支えていったかを記録すべく、再び現場に向かった。それが、近い将来また必ずやってくる災いに備える一助になると信じて──

氷川町宮原振興局における給水作業の様子。海上自衛隊の掃海母艦「ぶんご」で造水された飲料水は、第8後方支援連隊の5000L給水車を通じ、各避難所や給水ポイントに届けられた

(第2回に続く)

宮嶋茂樹_Shigeki MIYAJIMA

みやじま・しげき 報道カメラマン。1961年、兵庫県明石市生まれ。1984年に日本大学芸術学部写真学科を卒業後、講談社週刊『フライデー』専属カメラマンを経てフリーランスに。国内外の紛争、災害、事件、事故現場を撮影し、各種媒体に作品を発表し続けている。著作・写真集多数。近著に『海上自衛隊創設70周年写真集 GLORIOUS FLEET 日出づる艦隊』、『君たちはこの国をどう守るか』(共著)、『不肖・宮嶋 最後の戦場 ウクライナ戦記』、『忘れられた香港 〜The Forgotten State〜』など。

Ranking読まれている記事
  • 24時間
  • 1週間
  • 1ヶ月
bnrname
bnrname

pagetop