《連載》今知りたい機雷のいろは 〜第2回 機雷の発展と石川製作所
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2026-8-1 10:00
ホルムズ海峡のニュースなどで注目を集める「機雷」。ウニのような姿を想像することは容易だが、その実態は秘密のベールに包まれている。この連載では機雷に関する基礎から、歴史、処理の仕方まで、多角的にお伝えしていく。

日本で唯一、機雷を製造する石川製作所
石川製作所は現在、事実上日本唯一機雷を開発し、爆雷・地雷・爆弾も製造する防衛装備品メーカーとして陸海空自衛隊に貢献しています。その意味でも石川製作所の歩みを知ることは、日本の機雷発達史をたどることにもつながるわけです。今回は、北陸の金沢に誕生した小さな鉄工所が、どのような歴史を経て日本を代表する機雷メーカーになっていったのかについてご紹介します。
繊維機械から軍需へ
石川製作所は“坂の上の雲”をめざし大阪で修業した25歳の若者が、故郷にのれん分けされて始めた小さな鉄工所(従業員7名)から始まり、今年で創業105年となります。当時の北陸地方は繊維産業が盛んであり、創業のころは繊維機械メーカーとして順調に社業を拡大しました。しかし徐々に戦時色が濃くなり昭和に入って経済統制により原材料の入手が困難になると、多くの民需産業が軍需に転換していきました。そのような社会情勢のなか、大手繊維産業の担い手で当社顧問であった伊藤忠兵衛氏からのアドバイスを受け、石川製作所も海軍軍政本部や舞鶴海軍工廠などの指導を受けることとなります。そして今からちょうど90年前の1926年から軍需生産を開始しました。戦時中は主としては機雷、対潜爆雷ほか航空機用爆弾の生産に従事します。記録によれば1945(昭和20)年8月までに機雷約1万2千個、爆雷約5万1千個を海軍に納入しました。それぞれ海軍保有数の約1/5にあたります。
防衛産業への復帰
軍需工場にとって敗戦による軍隊の消失は廃業の危機でした。戦後すぐは金沢の陸軍第9師団、小松の海軍航空基地の解隊整理にともなう武器弾薬等の破壊・スクラップほか、農機具の生産ほか工場用地を畑にして食糧生産するなどして倒産の危機をしのぎ、北陸の繊維産業とともに再スタートするまでにこぎ着けます。
やがて7年の占領期を経て1952年にサンフランシスコ講和条約が発効し、日本が再び自主防衛力を保持することが認められ、保安庁が発足します。これにともない防衛装備の国産化が進められる情勢となりました。当社は戦時中に機雷等を生産した工場アセットを活かし再び防衛機器製造への進出を決断、海軍きっての機雷・地雷の専門家であった田村久三(終戦時海軍大佐、海上保安監・海将、防衛省顧問)を技術顧問として迎えます。田村は、海軍時代に機雷・地雷の最新技術をイタリア留学と東京大学で研究した専門家であり、戦後日本周辺に残された約6万の機雷除去にあたった航路啓開隊の指揮官でした。1955年に防衛庁技術研究本部が世田谷区三宿駐屯地に設置されるにあたり、水中武器の研究開発を行う東京研究所を設立し、田村が初代所長となりました。
このような経過をたどり、舞鶴海軍工廠を引き継いだ飯野重工(日立造船~ユニバーサル造船を経て現JMUディフェンスシステムズ社)と石川製作所の2社が武器等製造法の許認可を得て海自用機雷・陸自用地雷等の研究開発・生産等に従事することとなり、現在に至ります。
機雷生産の歴史
海上自衛隊の機雷は米海軍機雷のライセンス国産から始まりました。1960年代までは米海軍機雷を日立造船(現JMUディフェンスシステムズ)との2社でほぼ交互に受注する体制が続きます。
機雷の性能は、ターゲットとなる艦艇、特に潜水艦能力の発達にシンクロしています。米海軍の機雷をライセンス国産する過程で習得した技術を活かし、潜水艦の静粛化、深々度化に呼応し1969年代後半に純国産での開発に成功したのが、世界に類を見ない係維式の磁気機雷「71式機雷K-5」です。この機雷開発にあたり、必要なコア技術を米海軍から開示してもらう必要がありました。それを可能にしたのは意外にも政府間協力ではなく、戦後の航路啓開業務でともに殉職者を出しながらも掃海業務を遂行した日米指揮官の信頼関係でした。それは日本側指揮官だった田村と、米海軍作戦部長(当時の第7艦隊司令官)モーラー大将との“海の友情”に他なりません。
71式に続き、石川製作所は純国産となる83式、91式、15式と、時代の要請に応じた新型機雷(係維式/上昇追尾式)を開発してきました。また沈底式でも、対潜水艦としても使用可能な国内最大級のMk55Bや、極浅深度に使用する爆雷型デストラクタ(DST)機雷の量産、またこれまでになかった革新的センサーを装備した国産初の新型沈底機雷の開発にも成功します。一方の日立造船も各種感応式沈底機雷のライセンス国産、純国産の80式機雷を開発しました。


将来機雷の開発と未来
石川製作所東京研究所の開発チームは、防衛省技術研究本部(現装備庁)および海自の掃海部隊・開発部隊とともに、世界に類を見ない新型の沈底機雷、係維機雷、上昇追尾機雷を次々と開発し実用装備化に貢献してきました。その中には、他国が断念した仕組みの実用化に成功した上昇追尾型機雷もあります。現在は新鋭「もがみ型」FFM用、および国産開発中の無人機との組み合わせや、最新の水中通信技術を駆使した革新的水中センサー網の開発に加え、空陸水上・水中ドローンと当社の威力体開発技術とのコラボレーションに取り組んでいます。
同時に、機雷戦部隊の練度向上に資する訓練用の機雷を提供し、得られたデータの解析役務を通じ、対機雷戦術の練度維持向上・研究開発の一助となっています。
石川製作所は、深々度から浅深度に至る海自の各種機雷、さらにその先の極浅深度に敷設される陸自の水際地雷、海岸から上陸地に敷設する対戦車地雷、そして個人装備の指向性散弾などの組み合わせにより領域全般に障害システム開発を得意分野とし、敵の襲来を阻止するSHIELD構想(多層的沿岸防衛体制)の一端を防衛産業の立場から担い、我が国沿岸部の強固な守りに貢献しています。

次回予告
第3回 機雷の種類 10月初旬の公開予定です。おたのしみに!
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