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《特集》「陸上総隊」に詳しくなる──陸上自衛隊の力を束ねる最上級部隊

  • 特集

2024-7-18 11:11

2018年に誕生した「陸上総隊」は、数々の強力な直轄部隊を隷下に持つほか、5つの方面隊を束ねる、陸上自衛隊の最上級部隊である。陸上自衛隊創設期まで遡りつつ、総隊誕生の経緯から、各方面隊との関係性まで、その実情を解説する。芦川 淳 ASHIKAWA Jun

旧中央即応集団隷下の各部隊が集結し2018年4月に誕生した陸上総隊。写真は朝霞駐屯地で行われた隊旗授与式の様子。 写真:鈴崎利治

5つの陸上防衛ブロックと作戦基本部隊となる師団

 陸上自衛隊の成り立ちを語る際に避けては通れないのが、1950年に勃発した朝鮮戦争と、米ソ冷戦にともなう北海道防衛である。

 朝鮮戦争において、在日米軍が保有する地上戦力のほぼすべてを朝鮮半島へ転出させた結果、日本国内の治安維持が急務となった。このときGHQの指示によって警察予備隊が組織され、これが保安隊への改組を経て1954年には陸上自衛隊となった。産声を上げたばかりのこの組織は、重武装の治安維持部隊という位置づけであって、建前上は軍事組織ではなかった。

 しかしそれから10年を待たずして、自衛隊は軍事的組織として成長を始める。朝鮮戦争の休戦と同時に米ソ冷戦が激化し、程なくして日本は西側陣営から対共産主義の砦となることを要求されたからである。米国の強力な後押しによって国土防衛軍としての形を整えていくなか、特に北海道は極東ソ連軍の侵攻が予想されたことから、手厚い防衛力整備が行われた。現在までも続く陸上自衛隊の北方への戦力偏在は、このときから始まったものである。

 1960年代に入ると、効率的な国土防衛の在り方を狙って全国を5つの陸上防衛ブロックに分割し、そこに13個の師団を配置するという新体制が整えられた。師団とは、戦闘職種と後方支援職種を合わせたすべての職種部隊を隷下に揃え、作戦基本部隊として正面作戦を担任する能力を持つ大規模部隊を指す。陸上自衛隊では3個ないし4個の普通科連隊を主軸に、1個野戦特科連隊と1個戦車大隊、さらに航空科部隊と高射特科部隊を加えた戦闘部隊と、後方支援連隊やその他の諸職種が集う部隊を師団としている。人員規模は6000〜8000人を数え、戦闘部隊と後方支援部隊の割合は概ね半々といったところだ。平時にはその能力を活かして災害派遣など民生支援活動にも活躍する。

 この13個師団制は1962年に完成するが、その後、予算事情や安全保障環境の変化によって様々な単位の作戦基本部隊が登場したことによって、部隊の編制は均一ではなくなった。当初から北海道の師団には最新型の装備が優先的配備されていたし、かつて沖縄返還と同時に新編された第1混成団や、第13師団から分離した第2混成団(後に第14旅団へ改編)のように、地域的な事情から新編された部隊もあった。

 近年では任務特性を主な理由に師団をスリム化した「旅団」も登場し、加えて2010年に第15旅団(第1混成団を改編)が新編されたことで、現在の9個師団+6個旅団の体制が整ったのである。これに加えて2018年からは既存の師・旅団を改編した即応機動師・旅団も現れた。即応機動師・旅団は全国を舞台に機動運用されるため、戦車や榴弾砲を装備しておらず、従来の師・旅団とは大きく異なる部隊編成であるのが特徴である。

陸上総隊誕生以前は、5個の方面隊が陸上自衛隊の最大部隊であった。中でも北部方面隊は最前線部隊として充実した戦力が配分された。 写真:鈴崎利治
陸上総隊直轄部隊①第1ヘリコプター団。桁違いの航空輸送能力を誇る第1ヘリコプター団。福島第一原発への放水にも参加した実績がある。 写真:陸上自衛隊
2024年現在における陸上自衛隊の配置と編制 画像:陸上自衛隊

複数の師・旅団を束ねる最大作戦部隊だった方面隊

 ここで話は前後するが、本稿の前半において「陸上自衛隊は師団制の導入に伴って日本全国に5つの陸上防衛ブロックを設定した」と説明した。この防衛ブロックの警備を担任する部隊を「方面隊」といい、これは後に「陸上総隊」が登場するまで、陸上自衛隊における最大の作戦部隊であった。各方面隊の警備担任ブロックは著名な海峡や山脈などの地理的特性によって線引きされ、北部方面隊が北海道全域、東北方面隊が東北6県と北関東の一部、東部方面隊が一都六県と甲信越の一部、中部方面隊が近畿から中国・四国まで、そして西部方面隊が九州・沖縄を管轄するという体制は、それぞれの地域の実情や防衛上の特性をよく反映したものだった。

 各方面隊は、複数の師・旅団に加えて直轄部隊を隷下に置いており、全体の人員数は2万人超と非常に大きいサイズとなっている。西部方面隊を例にとれば、第4師団、第8師団、第15旅団の各作戦基本部隊と並び、第2高射特科団や西部方面特科隊、西部方面航空隊、第5施設団といった陸将補や1等陸佐を指揮官とするビッグサイズの直轄部隊を抱える。それらの直轄部隊は、対空戦闘や対艦ミサイル戦闘といった方面隊独自の作戦とともに、方面隊隷下の師・旅団の作戦をバックアップする増強部隊としても重視されている。

 また各方面隊には、武器弾薬や燃料、糧食の補給拠点で重整備拠点でもある補給処があり、管内の兵站を一手に握っているのも大きな特徴だ。補給処から延びる各駐屯地への輸送網も方面隊によって維持されており、さらには各駐屯地の維持管理業務も方面隊を親部隊とする駐屯地業務隊が取り仕切る。なお、新隊員教育や陸曹教育、即応予備自衛官の教育と練度維持も方面隊の任務のひとつで、主に方面隊直轄の方面混成団が担当する。こうしてみると方面隊の任務や規模のワイドさが実感できるはずだ。

陸上総隊創設時に朝霞駐屯地に新設された陸上総隊司令部庁舎。東部方面総監部の東隣に位置している。 写真:鈴崎利治
陸上総隊司令部庁舎内の正面階段。陸上自衛隊最大級の規模を誇る庁舎となった。 写真:芦川淳
陸上総隊直轄部隊②第1空挺団。中央即応集団の隷下部隊だった第1空挺団も、陸上総隊創設時にそのまま総隊直轄部隊となっている。 写真:菊池雅之
陸上総隊直轄部隊③水陸機動団。陸上総隊の創設と同時に誕生した水陸機動団。島嶼防衛の切り札として、大きな期待がかけられている。 写真:菊池雅之

安全保障環境の変化と陸上総隊の誕生

 2018年、半世紀にわたって続いてきた陸上自衛隊の5個方面隊制が大きく変化した。機動運用部隊を集めて2007年に新編された中央即応集団が、新たに「陸上総隊」として生まれ変わったのである。陸上総隊は、米国であれば米陸軍総軍にあたる組織で、海上自衛隊の自衛艦隊、航空自衛隊の航空総隊のように「防衛作戦を一元的に指揮する機能」を重視しており、本来ならば陸上自衛隊の発足と同時に生まれていてもおかしくなかった部隊だ。

 一説には、自衛隊によるクーデターを未然に防止するために敢えて陸上部隊の指揮権を細切れにしたとも、あるいはただ単に進駐軍の部隊配置を置き換える形で部隊整備が進んだためともいわれているが、当初から陸上総隊が誕生しなかったハッキリとした理由は分からない。

 また、いわゆる昭和の冷戦期における国防プランは、対ソ連を睨んだ北海道防衛を重視していたこともあって、特に陸上自衛隊では在北海道の部隊で完結する作戦を前提にしていた。その場合はバックアップとして東北方面隊や東部方面隊が動くとしても、作戦全体は連続的な形で進むことになるので、防衛大臣(当時は防衛庁長官)の命令は各方面総監個別に出せば済む。加えていえば、平成までの陸上自衛隊は災害派遣が実任務の王道で、防衛大臣からの出動命令は担当警備区の方面総監が単独で受け取ればよかったのだ。

 しかし冷戦終結以降、我が国を取り巻く安全保障環境は大きく変化し、中国や北朝鮮の暴発による地域紛争に巻き込まれる可能性が高まり、同時に大規模震災など想定を超えた自然災害への対処も必要になってきた。限られた防衛のリソースを有効活用しつつ即応を可能とするためには、陸海空自衛隊統合作戦が必須となり、陸上自衛隊にも方面隊をまたぐ大規模作戦を一元的に指揮・統括するシステムが必要となったのである。

陸上総隊直轄部隊④中央即応連隊。緊急展開部隊として2008年に誕生した中央即応連隊。宇都宮駐屯地に所在し、海外派遣も数多くこなす精鋭部隊だ。 写真:鈴崎利治
陸上総隊直轄部隊⑤特殊作戦群。陸上自衛隊が誇る特殊部隊が特殊作戦群だ。一般に公開されたことはほとんどなく、秘密のベールに包まれ続けている。 写真:菊池雅之
陸上総隊直轄部隊⑥中央特殊武器防護隊。機能に特化した機動運用部隊が揃う陸上総隊直轄部隊の中で、NBC対処を専門とするのが中央特殊武器防護隊だ。 写真:菊池雅之

強力な直轄部隊を持ち各方面隊の運用を司る

 かくして中央即応集団を母体として陸上総隊が新編。隷下には旧中央即応集団隷下にあった第1空挺団や中央即応連隊、特殊作戦群、第1ヘリコプター団といった、機能に特化した機動運用部隊が横滑りで納まった。同時に、西部方面隊隷下であった西部方面普通科連隊が水陸機動団として拡大改編され、我が国初の離島侵攻対処部隊として陸上総隊直轄部隊に加わったのである。

 そして旧中央即応集団時代は座間駐屯地に置かれていた司令部は、陸上総隊発足時に朝霞駐屯地に移転して、東部方面総監部の東隣に新設された司令部庁舎に納まった。司令部内の編成は、陸上総隊司令官(陸将)の麾下に、総務部、情報部、運用部、後方運用部が並び、幕僚長(陸将)が全体のまとめ役となる。中央即応集団時代は、司令官(陸将)の下に2人の副司令官(陸将補)が就いていたが、これは新設ポストの運用部長と日米共同部長に変更された。なお日米共同部のみは、在日米陸軍との関係を重視して座間駐屯地に置かれている。

 この陸上総隊に与えられた任務は非常にワイドなもので、平素からの警戒監視活動と情報収集活動に始まり、防衛作戦計画の作成、方面隊等部隊の運用状況把握、さらに災害派遣や有事態勢移行の準備まで、多岐にわたる領域を統括する。このほか、中央即応連隊や第1空挺団、特殊作戦群など即応性にすぐれた部隊の運用や、国際派遣活動なども陸上総隊の需要な任務である。

 陸上総隊ができたことで、従来は方面総監部が担っていた運用の多くを陸上総隊司令部が引き受けることなり、各総監部は隷下部隊の練度維持という最重要任務に集中できるようになった。ちなみに陸上総隊の幕僚長は各方面総監部の幕僚長を統括する立場にあり、同じく運用部長は師・旅団の幕僚長を束ねる。これも陸上総隊と各方面隊との密接さを示す好例といえるだろう。

 2019年10月に発生した台風19号による災害では、1都10県の知事から要請された災害派遣に対して、陸上総隊司令官を指揮官とするJTF(統合任務部隊)が編成され、これが陸上総隊によるJFT運用の第1号となった。将来の発生が予想される首都直下震災においては、陸上総隊による「災首都JTF」が編成され、隷下に東部方面総監、海自・横須賀地方総監、空自・航空総隊司令官が組み込まれる計画だ。スムーズな統合運用を考慮すれば、やはり陸上自衛隊に「陸上総隊」があることのメリットは大きいことがわかる。

陸上総隊直轄部隊⑦国際活動教育隊。駒門駐屯地に所在する国際活動教育隊。国際平和協力活動に関する教育・訓練・研究を担っている。 写真:鈴崎利治
芦川 淳ASHIKAWA Jun

1967年生まれ。拓殖大学卒。雑誌編集者を経て、1995年から自衛隊を専門に追う防衛ジャーナリストとして活動。旧防衛庁のPR誌『セキュリタリアン』の専属ライターを務めたほか、多くの軍事誌や一般誌に記事を執筆。自衛隊をテーマにしたムック本制作にも多数携わる。部隊訓練など現場に密着した取材スタイルを好み、北は稚内から南は石垣島まで、これまでに訪れた自衛隊施設は200か所を突破、海外の訓練にも足を伸ばす。

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