《ニュース解説》令和6年能登半島地震の災害派遣は、どんな災害派遣だったのか?
- 特集
2024-5-13 11:00
今年1月1日に発生した「令和6年能登半島地震」は、死者245人、負傷者1300人、石川など5県で11万4000棟が全壊・半壊・一部破損するなど非常に大きな被害をもたらした。この大災害に際し、自衛隊はどのように対応したのだろうか? また、この災害をとおして浮き彫りになった災害対策のありかたとは?
初動は自主派遣。人命救助と情報収集をおこなう
2024年1月1日(月)16時10分、石川県能登地方を震源とする強い地震が発生した。震源の深さは約15km、地震の規模はマグニチュード7.6、石川県志賀町で最大震度7を記録し、能登半島全体が震度5強~6強、石川・富山・新潟県の全域が震度4以上の揺れに見舞われた。これ以外にも6日までに震度5以上の余震が10回以上あり、とくに能登中部以北で大きな被害が発生した。
災害対応は原則として国や都道府県に責任があり、自衛隊の災害派遣も県知事などからの要請に応じて行われる。ただし震度5以上の地震が発生したときは、部隊長の判断で人命救助や情報収集のために部隊を動かすことができる。これを自主派遣という。この地震においても、発災20分後に北海道の千歳基地からF-15戦闘機が航空偵察のため緊急発進したのをはじめ、被災地域とそれをとりまく陸・海・空自部隊が、人命救助と情報収集のために何かしらの行動を起こしている。災害派遣の要請は、発災35分後の16時45分、石川県知事から陸上自衛隊の第10師団長(守山駐屯地)に対して行われた。
この日、震源にもっとも近い航空自衛隊の輪島分屯基地では、正月シフトのため隊員は40名ほどしか勤務していなかったが、周辺地域から約1,000名の避難者を受け入れ、基地近傍の倒壊ビルから3名を救助している。対空レーダーでの監視任務は継続したままだ。その他の基地・駐屯地・地方協力本部でも、人命救助と情報収集のかたわら、県をはじめ関係自治体と連携するため県庁などにLO(連絡幹部)を派遣した。海上自衛隊では同日20時45分以降、毛布、紙おむつ、ミルクを搭載した艦艇3隻が舞鶴港を出港した。
救援・支援活動の現場は 破壊された道路の先に
翌1月2日10時40分、陸自の中部方面総監を長とする統合任務部隊(JTF)が編成され、陸海空1万名の隊員が指揮下に入った。
しかし、現地に入ることのできた隊員はその半数に満たなかった。1月2日が1,000名余、3日に2,000名、4日に4,600名、5日で5,000名だ。1万名を一気に動かせなかった理由は、地震で能登半島内の道路網が寸断されたことに加え、被災地の情報が不十分だったことにある。はじめの2日間は陸路で被災地へアクセスできなかったため、陸海空ヘリの集中運用により空から部隊を投入し、被害者の捜索救助や情報収集を行った。一方で、海自の艦艇やホバークラフト(LCAC)により海から重機を持ち込み、輪島市や珠洲市において、土砂・瓦礫の除去や壊れた道路の段差修正など(道路啓開)を開始している。
1月3日には、総理大臣から自衛隊に対し「自治体ニーズの把握に基づくきめ細やかな被災者支援」を実施するよう指示がなされた。この言葉の背景にも、小さな集落が点在する能登の地域特性がある。例えば、ある避難所にどんどん救援物資を運び込んでも(これをプッシュ型支援という)、そこで捌ききれないばかりか、必要な場所には届けられない事態が発生する。まず自治体や被災者のニーズを聞き取ることから始める「プル型」の支援が、その後の活動方針となった。
今回、自衛隊だけでなく警察・消防・民間による最初の人命救助活動は、ほとんどが道路啓開とセットで進められた。その後の生活支援や復興支援活動もまた、道路啓開を伴っている。
災害には自治体で備え 対応する隊員たちを信じる
統合幕僚監部が発表した主な活動内容は、人命救助(捜索・救助・患者搬送・二次避難支援。実施は2月20日まで)、巡回診療など衛生支援(2月1日まで)、道路啓開(2月14日まで)、輸送支援(DMATなど人員の輸送および食料・水・毛布・燃料など物資の輸送。3月28日まで)、給水・給食・入浴支援、そしてPFI船舶「はくおう」を使用した一時休養施設の開設(3月30日まで)などであった。活動地域は石川県珠洲市、輪島市、能登町、穴水町、志賀町、七尾市、かほく市と富山県氷見市。
その後も国と県による支援活動は継続して行われているが、国防を最優先任務とする自衛隊の災害派遣はかなり規模が縮小した。5月中旬の段階では、珠洲市において給水支援が、珠洲市、輪島市、能登町において入浴支援が実施されている。
災害派遣における活動実績(5月12日まで) ※数値は延べ数
人命救助 | 救助 約1,040名 |
衛生支援 | 診療 約670名 |
患者輸送 約720名 | |
輸送支援 | 糧食 約4,266,000食 |
飲料水 約2,334,000本 | |
毛布 約19,000枚 | |
燃料 約234,000リットル等 | |
給食支援 | 約259,000食 |
給水支援 | 約6,300トン |
入浴支援 | 約442,000名 |
PFI船舶「はくおう」 | 一時休養施設利用者 約2,600名 |
道路啓開 | 県道1号、6号、52号、57号、266号、285号及び国道249号等の一部区間 |
かつて災害対応にあたった 自衛隊OBからの提言
今回の災害派遣について、東日本大震災(2011年3月)当時に松島基地司令だった杉山政樹(すぎやま・まさき)元空将補と、熊本地震(2016年4月)でJTFを指揮した小川清史(おがわ・きよし)元陸将にお話をうかがったところ、次の提言をいただいた。
杉山政樹 元空将補
「今回、自衛隊の初動が遅いとか、人数が少ないとかいった批判が、早い段階でSNSやニュースにあがりました。自分で調べたわけでもなく、全体の状況もわからないうちに、専門家でもない人がこれを言うのです。その意見を信じてしまう人もいました。
オペレーションが動き出したら、隊員たちに任せて見守ってください。彼らは最大限の力で、まず人命救助をやるわけです。批判への対処に労力は割けません。評価は作戦が終わってからすればよいのです。」
小川清史 元陸将
「今回の地震で、能登半島は道路が寸断され、離島のような状態になりました。機材や人を海や空から運び、山間部にある集落への到達には時間がかかりました。広い平野で起こった熊本地震とは大きく異なります。
地域における災害への備えは、県と市町村に第一義的な責任があります。地方ごとに様々な災害を想定し、何に重点を置いて準備し、どういう状態になったら自衛隊を投入するのか明確にしておきます。自治体の長の方々には、今回の対応を教訓としてよく考えていただきたいです。」
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